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前橋地方裁判所高崎支部 昭和46年(わ)2035号 判決

主文

被告人清水幾夫を懲役四年に、被告人依田吉雄を懲役一年に処する。

未決勾留日数中、被告人清水幾夫に対しては二〇〇日、被告人依田吉雄に対しては一五〇日を、それぞれその刑に算入する。

被告人依田吉雄に対し、この裁判確定の日から三年間その刑の執行を猶予し、その猶予の期間中同被告人を保護観察に付する。

訴訟費用は全部被告人両名の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一、被告人清水幾夫は、

(一)  法定の除外事由がないのに、

(1) 昭和四五年一一月初旬頃の午後八時頃、群馬県甘楽郡妙義町大字上高田一、二一五番地の五先路上において、刃渡一五・五センチメートル(柄の長さ二メートル)のやり一本を携帯して所持し、

(2) 同年一二月五日頃から同月三〇日までの間、同県富岡市内および同市中高瀬五二三番地新井原アパート内の清水宣司の居室等において、刃渡一八・五センチメートルのあいくち一振を携帯するなどして所持し、

(二)  同月二〇日午後一一時頃、同市上丹生二、六五五番地佐藤叔布方居宅北側物置西の自動車置場において、駐車中の自動車の屋根に結びつけてあった佐藤正所有のスキー一組(時価約二四、〇〇〇円相当)を窃取し、

(三)  同月二九日、同市内において、たまたま、小児麻痺のため歩行不能の身体障害者である横尾恒雄(当時六九才)と知り合い同人から、正月にむしろなどを用意して遊びに来れば日本刀をやると言われたのを真に受け、昭和四六年一月二日、むしろなどを用意のうえ、友人の自動車を運転して、同市七日市一、〇二八番地の一の右横尾方に赴いたものの、同人を右自動車に乗車させて同人の指示する場所に連れて行ったのにかかわらず、同人が行先で仏像を買う交渉をするのみで、結局日本刀をくれなかったことから、同人を恨んでいたものであるが、同月四日、同市内においてパチンコをして所持金を使い果たしたため、女友達から金を借りようと考えて、同日夕刻、前からの遊び友達である被告人依田を誘い出し、同被告人の運転する普通乗用自動車に同乗して二、三の女友達を尋ねたが、金を借りることができなかったので、ここに、前記横尾恒雄をだまして連れ出しその所持金を奪おうと企てるに至り、同日午後九時頃、その情を知らない被告人依田に右自動車を運転させて、前記横尾方に赴き、同人に対し「安中で仏像を買えるから一緒に行かないか」と嘘をつき、これを信じた同人が現金を手提鞄に入れて携えたのを確認したうえ、前記自動車の助手席に同人を、後部座席に被告人依田を同乗させ、仏像の持主方に案内する如く装いながら自ら同車を運転し、同日午後一〇時頃、同県安中市西上秋間字臼沢二、七五七番地先の人家からかなり離れ付近に全く人気のない山道に連行の上、同所でU・ターンして右山道を下ったが、この付近で右横尾からその所持金をひったくったうえ、同人を山中に置き去りにして逃げようと決意し、約七〇〇メートル下ったところで右自動車を停車させ、自ら下車し同車後方に被告人依田を呼び出し、同被告人に対し、「このじいさんは刀をくれるなんて嘘を言って、俺は頭に来ているんだ。じいさんは二万円位もっているだろうから、これをとって大阪へ逃げるんだ。俺がじいさんから金をとるから、お前は車を運転してくれ」と情を打ち明けてその協力を求め、厭がる被告人依田が「このじいさんは足がないから、こんな寒いところへ置いて行けば死んじゃうじゃないか」と言うのに対して、「俺は覚悟したんだから、何を言ったってだめだ」と強く協力を迫って、同被告人に協力を承諾させたものであるが、たまたまこのとき、尿意を催した前記横尾から車外へ出してくれるように依頼されたので、これを幸いとして、被告人依田に対して、「ちょうどいい。俺がじいさんを車から降ろして金をとるから、お前運転台に乗ってエンジンをかけていてくれ」と指図して、同被告人を運転席に乗車せしめ、右横尾を助けて車外に降ろしたうえ、

(1) 即時同所において、路傍にしゃがみ込んで排尿している前記横尾から、同人が左脇にかかえていた現金二〇、〇〇〇円在中の前記手提鞄一個をひったくって窃取し、

(2) 右(1)の犯行の直後、同所付近は東側が山、西側が崖で下方に谷川があり、一部に積雪もある人家から離れた人気のない山中で、しかも厳寒期の深夜であるから、老令にして下半身不随、歩行不能の身体障害者である前記横尾を同所に放置すれば、同人が凍死し若しくは川に転落して溺死するかも知れないことを認識しながら、同人を安全な場所まで再び連れ帰る義務があるにもかかわらず、前記(1)の犯行の発覚をおそれるのあまり、同人が死亡してもやむを得ないと決意して、同人を前記路傍に放置したまま、被告人依田が発進の用意をしていた前記自動車の後部座席に飛び乗り、被告人依田に同車を運転させて、同所より立ち去ったものであるが、右横尾がひと晩中同所付近を這いずりまわり、翌五日午前七時頃、同所から約一四〇メートル南東方の山小屋を発見して辿り着き、たまたま右山小屋に居合わせた土屋春吉ほか二名の者に救護されたため、右横尾に対し、加療約三週間を要する両膝、右手凍傷、右腰部、右上腕挫傷の傷害を負わせたにとどまり、同人を殺害するに至らず、

第二、被告人依田吉雄は、被告人清水が前記第一の(三)(2)の犯行をなすに際し、前記のように、同被告人から前記横尾恒雄を前記山中に置き去りにする意図を明かされて協力を求められ、同被告人が右横尾の死亡する可能性を認識し且つこれを認容していることを知りながら、ことのなりゆき上これを容認し、前記のように、同被告人の指示に従い同被告人が右横尾を同所に置去りにしてすぐ立ち去れるように前記自動車の運転席にのって発進の用意をし、同被告人が右横尾を車外に置き去りにし右自動車の後部座席に飛び乗ったとき、直ちに同車を発進し、同被告人の同乗する前記自動車を運転して、前記山中から立ち去り、もって被告人清水の前記第一の(三)(2)記載の殺人未遂の犯行を容易ならしめてこれを幇助し

たものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)≪省略≫

(判示殺人未遂罪について)

第一、被告人清水の罪責について

一、同被告人の判示第一の(三)の(2)の所為は、同被告人が、生命に切迫した危険のある場所に現在する被害者を、その場所に放置した、すなわちその場所において被害者の生命の危険を除去しないしは被害者を安全な場所まで連れ帰ることをしなかったというものであって、被害者をその場所に放置する行為は不作為の行為である。

同被告人は、判示のように、仏像を買える旨被害者を欺罔してその住居から連れ出し、自らの運転する自動車に同乗させて、被害者の生命に切迫した危険のある場所へ連れて来たのであるから、まさに自らの先行行為によって被害者の生命に危険を生じさせたものであって、当然同被告人には、その場所において被害者の生命の危険を除去しまたは被害者を安全な場所まで連れ帰るべき法的義務(作為義務)がある。したがって、同被告人の前記不作為は右作為義務に違反する不作為である。そして、同被告人が右作為義務を果たすことが可能であったことは明らかである。

ところで、殺人(未遂)罪の構成要件は「人を殺す」という作為の形式で規定されているのであるが、自らが生命に切迫した危険のある場所まで連行した被害者をその場所に放置するという不作為の行為は、その場所に放置しないこと(作為義務を果たすこと)が可能であった以上は、作為によって人を殺す(又はその未遂)行為と構成要件的に同価値と評価し得るから、同被告人の前記の不作為は、殺人(未遂)の実行行為としての定型性を具備していると認定すべきである。したがって、同被告人の判示第一の(三)の(2)の所為は、不作為による殺人未遂であって、いわゆる不真正不作為犯に該当するものである。

なお、自動車を運転してその場から立ち去る(判示の如く実際に運転したのは被告人依田)行為自体は作為の行為であるが、被害者の生命侵害はその行為自体によってもたらされるのではなく、被害者を危険な場所に放置することによってもたらされるのであるから、自動車を運転してその場から立ち去る行為は、その行為によって、作為義務ある者が作為義務を果たさないことが明確になるという意味をもつに過ぎず、この行為自体を殺人未遂の実行行為と解することはできない。

(≪証拠省略≫中には、同被告人が被害者方へ赴く以前から被害者を山奥へ連れて行って棄てて来ることを企てていた旨の供述記載部分があるが、右供述は、≪証拠省略≫に照らして信用することができず、同被告人が右のような犯意を有するに至ったのは、判示のように、同被告人がその運転する自動車を山中に停車させたときの直前の頃であると認められる。しかし、仮に同被告人が被害者方へ赴く以前から右のような犯意を有していたとしても、被害者を自動車に乗せる行為や山中に向かって自動車を運転する行為を殺人の実行行為と解することはできないから、この場合も、(作為義務はより重くなるであろうが)やはり被害者を山中に放置する行為が殺人の実行行為なのであって、不作為による殺人未遂であることに変りはない。)

二、同被告人および弁護人は、同被告人には被害者を殺害する確定的故意は勿論、未必的故意もなかったと主張する。しかしながら、(証拠の標目)記載の前掲各証拠によれば、被害者が放置された現場の場所的条件、時季的条件および被害者の身体的条件は判示の如きものであったことが認められ、被害者が判示土屋春吉らのいる山小屋に辿り着き得たのは、むしろ奇蹟的であるとさえいい得る(被告人両名とも当時この山小屋の存在を認識しておらず、人家はこれよりはるかに離れたところにあると考えていたことが認められる)。前掲各証拠によれば、被告人清水は、右の諸条件を十分認識しながら、被告人依田が被害者死亡の可能性を口にして翻意を促したにもかかわらず、あえて被害者を判示の山中に放置したものと認められるのであって、被告人清水は被害者死亡の結果を予見しかつこれを認容したことが明らかであり、同被告人が未必的な殺意を有していたことは疑いを容れる余地がない。

第二、被告人依田の罪責について

一、同被告人が被害者を判示の山中に放置したことについて、同被告人に不作為による殺人未遂が成立するためには、同被告人が、被害者をその場所に放置しない義務、すなわちその場所において被害者の生命の危険を除去しないしは被害者を安全な場所まで連れ帰るべき作為義務を負っていなければならない。しかるところ、同被告人は、判示の如く、被告人清水から意図を明かされることなく被害者同様仏像を買いに行くものと誤信して被告人清水の運転する自動車に同乗して判示の山中に至り、そこで初めて同被告人から、被害者の金員をひったくり被害者をその場所に置き去りにする意図を明かされたのであるに過ぎない。このような事情のもとにおいては、被告人依田に、道徳上の観点からはともかくも、法律上前記のような作為義務があると認めることはできない。なお、保護責任者遺棄罪の関係において(単純遺棄罪は作為犯である)、同被告人が被害者を保護する責任すなわち作為義務を負うか否かは困難な問題であるが、作為義務の有無は特定の構成要件との関連で認定されなければならないものであり、同被告人が保護責任者遺棄罪の関係で作為義務を負うか否かにかかわりなく、本件の訴因である殺人未遂罪の関係では、同被告人は作為義務を負わないといわねばならない。

したがって、同被告人に前記のような作為義務がない以上は、同被告人は殺人未遂の正犯たり得ないのであり、たかだかその幇助犯となり得るに過ぎない。

同被告人は、判示のように、被告人清水の指図に従い、同被告人の同乗する判示自動車を運転して、被害者の現在する場所を立ち去ったのであるが、この行為は、被告人清水がその負っている前記の作為義務を果たさないという不作為の行為を容易にし、その反面右の作為義務を果たすことを困難ならしめる行為であるから、まさに正犯たる被告人清水の不作為による殺人未遂の実行行為を幇助する行為であるということができる。もっとも、被告人依田自身も被害者を放置しているのであるから、これを不作為による殺人未遂の実行行為と解することも考えられるが、前記のように、同被告人が作為義務を負っていない以上は、いずれにしろ、同被告人が殺人未遂の正犯となる余地はなく、幇助犯たるに止まるのほかない(同被告人が自動車を運転してその場から立ち去った行為自体を殺人未遂の実行行為と解し得ないことは、前記のとおりである)。

二、同被告人および弁護人は、同被告人には被害者に対する殺意がなかったと主張する。しかしながら、幇助犯における故意とは、正犯の実行行為の認識とその認容および正犯を幇助する行為をなすの意思のことであって、本件において幇助犯たる被告人依田自身の被害者に対する殺意は、同被告人の幇助犯としての故意とは直接の関係がない。そして、(証拠の標目)記載の前掲各証拠によれば、判示のように、同被告人には殺人未遂の幇助犯としての故意があったことが認められる。

第三、以上の理由により、結局、被告人清水は殺人未遂の正犯として、被告人依田は殺人未遂の従犯として、それぞれ処断するのが正当である。なお、被告人依田に対する訴因は殺人未遂の共同正犯であるが、共同正犯の訴因について従犯を認める場合に、訴因変更の必要はないと解する。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 野口仲治 裁判官 小西高秀 近藤崇晴)

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